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ミキモト真珠島 (みきもとしんじゅしま、) は、三重県鳥羽市の鳥羽湾内に浮かぶ小島。 英虞湾内にある神明浦と並ぶ養殖真珠発祥の地であり、全島が株式会社御木本真珠島 (みきもとしんじゅしま、) が経営するレジャー施設となっている。島内では真珠工芸品が展示されている他、海女の実演が催される。 年間観光客数は25 - 26万人で、約1割が日本国外からの来客である〔折戸(2008):80ページ〕。このため、島内の案内は日本語と英語を併記し、パンフレットは日本語・英語・韓国語・中国語(簡体字)・中国語(繁体字)・ドイツ語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ポルトガル語の10か国語を用意している〔折戸(2008):81ページ〕。 == 沿革 == * 1893年 - 当時、相島 (おじま) と呼ばれていた同島で、御木本幸吉が真珠養殖に成功。 * 1919年(大正8年) - 鳥羽町(当時)が相島地先の海面埋立権と使用権を帝国汽船に売却〔鳥羽市史編さん委員会 編(1991):181ページ〕。 * 1927年(昭和2年) - 鳥羽町が帝国汽船から相島を買い戻す〔。 * 1929年(昭和4年)4月 - 鳥羽町が御木本幸吉に相島を売却〔。売却益は鳥羽小学校の建築費に充当された〔。 * 1951年(昭和26年)3月12日 - 資本金500万円をもって〔鳥羽市観光協会50周年記念誌編纂委員会 編(1980):259pp.〕有限会社御木本真珠ヶ島が設立され、レジャー施設として御木本真珠ヶ島が開島〔鳥羽市史編さん委員会 編(1991):352ページ〕。 * 1953年(昭和28年) - 御木本幸吉像を建立〔。 * 1956年(昭和31年) - 島の南側の海面を埋め立てる〔。 * 1958年(昭和33年) - 御木本幸吉翁記念館を開設〔。 * 1962年(昭和37年) - ミキモトパールミュージアムを開設〔。 * 1970年(昭和45年)7月11日 - パールブリッジ完成〔鳥羽市史編さん委員会 編(1991):449ページ〕。 * 1971年(昭和46年) - 商号を有限会社御木本真珠島に改める〔1971年(昭和46年)4月21日日本国有鉄道公示第183号「周遊割引乗車券発売規則の一部改正」〕〔。これにより島名もミキモト真珠島に変更(真珠ヶ島の「ヶ」を外す)〔。 * 1971年(昭和46年) - 島の護岸復旧と南西海面の埋め立てを行う〔。 * 1985年(昭和60年) - 真珠博物館が開館〔鳥羽市観光情報サイト - 楽しむ (2016年3月22日閲覧)〕。 * 1993年(平成5年) - 御木本幸吉記念館が開館〔。 * 2011年(平成23年) - 3月11日に発生した東日本大震災の影響で客足が減少〔片山ほか(2011):20ページ〕。4月下旬には日本人客の数は戻ってきたが、日本国外からの団体ツアー客は、ほぼ0のままであった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「ミキモト真珠島」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Mikimoto Pearl Island 」があります。 スポンサード リンク
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